大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所川崎支部 昭和57年(ワ)38号 判決

原告

片山昭子

右訴訟代理人弁護士

里村七生

右訴訟復代理人弁護士

三浦宏之

被告

京セラ株式会社

右代表者代表取締役

稲盛和夫

右訴訟代理人弁護士

中町誠

右同

成富安信

右同

小島俊明

右同

中山慈夫

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める判決

一  請求の趣旨

1  原告と被告との間に雇用契約が存在することを確認する。

2  被告は、原告に対し、昭和六〇年六月一日以降毎月二五日限り各金一三万八二〇〇円並びに毎年七月末及び一二月末限り各金三四万五五〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

(地位確認請求について)

1 原告は、昭和五一年二月、サイバネット工業株式会社に入社し、同社の仲工場及び川崎工場において就労した後、右川崎工場閉鎖に伴って昭和五三年一〇月二〇日から同社の玉川作業所において就労していたが、同年三月、同社内に全関東単一労働組合サイバネット工業分会(以下、単に「組合」若しくは「組合分会」という)を結成すると同時に、同組合の分会長に就任した者である。

2 被告は、サイバネット工業株式会社を吸収合併し(以下、サイバネット工業株式会社を「旧会社」という)、昭和五七年一二月一八日その旨の登記をした者である。

3 被告は、原告が旧会社の就業規則(以下、単に「就業規則」という)二一条四号に基づく休職期間満了によって、昭和五五年八月一〇日付をもって旧会社を退職し、旧会社従業員としての身分を失ったと主張し、原告が被告との間に雇用契約上の従業員としての地位を有していることを争っている。

(賃金請求について)

4 原告は、旧会社の業務に起因する頸肩腕障害及び腰痛症(以下、「本件症状」ともいう)に罹患し、昭和五五年六月一一日から治療のため旧会社を休職中であったが、昭和六〇年五月二四日、被告に対し、主治医作成の、右症状が軽快し職場復帰が可能になった旨の診断書を添えて同年六月一日からの復職を要求した。しかし、被告は、原告を既に退職扱いにしているとして原告の右労務の提供を拒否している。

5 原告は、休職前、被告から毎月二五日に月額金一〇万八三〇〇円の賃金の支払を受けており、被告はその後毎年五パーセントを下回らない賃上げをしてきたから、右休職前の賃金を基準に原告の得べかりし賃金を算出すると、昭和六〇年六月一日以降の原告の賃金は月額金一三万八二〇〇円を下回ることはない。また、被告は、賞与として少なくとも毎年七月末及び一二月末までに賃金月額の各二・五か月分の一時金を従業員に支払っているから、原告も右と同様の一時金の支払を受ける権利を有する。

(結論)

6 よって、原告は、被告との間の雇用契約に基づいて、(1)同契約が存在することの確認、(2)昭和六〇年六月一日以降毎月二五日限り賃金月額金一三万八二〇〇円並びに夏冬の賞与として毎年七月末日及び一二月末日限り右賃金月額の二・五倍の各金三四万五五〇〇円の金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3項の事実中、原告が、昭和五三年三月組合分会を結成し、結成と同時に組合分会長に就任したことは知らないが、その余はいずれも認める。

2  同4項の事実中、原告が主張の日に休職となったこと、原告が、昭和六〇年五月二四日、被告に対し、被告の病状が軽快し職場復帰可能になった趣旨の主治医の診断書を添えて同年六月一日からの復職を要求したことは認め、その余は否認する。

仮に、原告との雇用契約が存続していたとしても、原告は軽減勤務を主張し、雇用契約上の債務の本旨に従った労務の提供を行っていないのであるから、被告は原告の右のような就労を強制されるいわれはない。また、原告の休職前の就労場所である玉川作業所が昭和五九年七月二七日閉鎖されたため、被告は緊急命令の履行としてであるが、玉川作業所と同じ現業部門で、玉川作業所に最も近い長野県の岡谷工場を原告の就労場所として指定したが、原告は岡谷工場での就労を拒否したのであるから、雇用契約上の債務の本旨に従った労務の提供を行っていない。

3  同5項の事実は否認する。

三  抗弁(原告の休職期間満了に伴う退職)

1  原告は、昭和五五年四月一〇日、旧会社に対し、脊椎椎間軟骨症の病名が記載された新城整形外科医院医師原田俊行(以下原田医師という)作成の診断書を提出して、翌一一日から欠勤し、その後も同年五月六日付、同月二八日付の原田医師作成の同一病名の各診断書を提出して欠勤を続けていたところ、右各診断書の原告の病名が旧会社の業務とは何等関連性を有しない脊椎椎間軟骨症であり、右四月一〇日付の診断書では約三週間、同五月三日付の診断書ではなお約三週間、同五月二八日付の診断書でもなお約二週間の安静加療を要すると診断されており、欠勤開始から二か月を経過した同年六月一一日に至っても治癒せず、その間原告から旧会社に対し、原告の疾病を業務上の傷病として取り扱う旨求めていなかったこと等から、旧会社は原告の疾病を業務外の単なる私傷病と判断して、就業規則一八条一号を適用して原告を休職扱いにし、休職期間については就業規則一九条一号によれば二か月以上六か月の間で決定することになっているので、原告の勤務成績等を考慮して同年六月一一日から二か月間と決定し、同月一六日付で同決定を原告に通知した。

2  ところが、原告はその後主治医を神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所(以下「港町診療所」という)の医師今井重信(以下今井医師という)に変更し、原告の疾病が頸肩腕障害及び腰痛症である旨の今井医師作成の診断書を添え、旧会社に対し、原告の疾病が旧会社の業務に起因するものであると主張してきた。しかし、旧会社は、原告が主治医を突然変更したことや、原告のこれまでの欠勤事由が労災と主張する病名と全く関わりがなく、原告のこれまでの出勤状況からみても原告の疾病が業務に起因するものとは到底考えられなかったこと、更に前記原田医師から原告の疾病は退行性変性によるものであって業務に起因するものではないとの説明を受けたこと等から、原告の疾病が業務に起因するものであるとの原告の主張に不審の念を抱き、原告の疾病が業務に起因するものであるか否かを検討するため、原告に対し会社指定の専門医三名のうちいずれかの医師の診断を受けるよう指示したが、原告はこれを拒否して欠勤を続けたため、旧会社としては、就業規則二一条四号により、原告には業務外の傷病による前記休職期間が満了しても復職の見込みがないものと判断し、休職期間満了の時点である昭和五五年八月一〇日の経過により旧会社を退職した取り扱いとし、原告にその旨の通知をした。従って、原告は同日をもって旧会社を退職し従業員の身分を失ったものである。

四  抗弁に対する認否と主張

1  抗弁に対する認否

抗弁事実中、原告が原田医師により脊椎椎間軟骨症の病名の診断を受け、昭和五五年四月一一日以降欠勤したこと、原告が旧会社より同年六月一一日から二か月間の休職を命じられたこと、原告が原田医師から今井医師に主治医を変更したこと(但し、原告は旧会社からの休職の通知を受ける以前に主治医を変更したものである)、原告は旧会社に対し原告の疾病が業務に起因するものである旨主張したこと、原告は旧会社から旧会社指定の専門医の診断を受けるよう指示されたこと、旧会社が原告に対し退職通知をしたことは認め、その余は否認する。

2(一)  原告は病気治療のため、昭和五五年四月七日及び八日、新城整形外科医院に通院し、同月一〇日、原田医師から脊椎椎間軟骨症との診断を受け、翌一一日から旧会社を欠勤し、新城整形外科医院で治療を受けたが、治療効果があがらなかったため、同年六月六日港町診療所で診察を受け、同月二〇日港町診療所の医師は、原告の脊椎には異常はないとして脊椎椎間軟骨症を否定し、原告の疾病が頸肩腕障害及び腰痛症であり、旧会社の業務に起因する旨の診断をした。そこで、原告は、旧会社に対し、原告の疾病を業務上の傷病と認めて旧会社による原告に対する休職処分を撤回するよう求めたが、旧会社はこれを無視し、原告の疾病を業務外の傷病として扱い、原告に対し休職期間満了に伴う退職通知をしたものである。

(二)  このように、原告が昭和五五年四月一一日以降旧会社を欠勤するに至ったのは、頸肩腕障害及び腰痛症という本件症状の治療のためであり、原告の右疾病は原告が旧会社の業務に従事したことに起因する業務上の傷病である。原告の本件疾病が旧会社の業務に起因するものであることは、以下に述べるところから明らかである。

(1) 原告の業務内容と健康状態の推移

(イ) 仲工場における時期(昭和五一年二月から同年八月)

原告は、昭和五一年二月二三日、旧会社に入社し、三日間の実習の後、製造ラインに就いてトランシーバーの配線作業に従事した。労働時間は午前八時二〇分から午後五時一〇分まで、午前一〇時に五分、昼に五〇分、午後三時に一〇分の各休憩をはさみ、拘束時間八時間五〇分、実働七時間四五分である。

右配線作業は、右手にラジオペンチを持ち、右手首を曲げてラインを流れるプリント基盤の端子に線材をまきからげ、線材の余りをニッパーで切断し、線材をまきからげた部分を左手でハンダ付けするものであり(以下「からげ配線作業」という)、当時、ラインには日産三〇〇台ないし四〇〇台のトランシーバーが流れ、一台につき七点ないし八点のからげ配線作業があったので、原告はラインに向かって顔を下に向けたままの作業姿勢を保持しながら、一日につき二〇〇〇回ないし三〇〇〇回の右手首の曲げ、切断、ハンダ付を行った。

原告は、旧会社に入社以前は健康そのものであったが、右からげ配線作業に従事してから、右手首の痛み、肩凝りが残り、帰宅後は疲れて夜早く就寝する状態であった。原告はからげ配線のハンダ付作業による煙の影響で喉が腫れ、目が充血し、風邪を引いた状態が続いたため、からげ配線作業からの変更を申し出て、同年七月半ばからハンダ作業を伴わないワイヤーラッパー作業に従事した。右ワイヤーラッパー作業は、線材をきれいに伸ばしたうえで左手に持ち、目の前に下げられている圧縮空気式ワイヤーラッパーを右手に持って上げ下げして端子に線材を巻きつけ配線をするものであり、からげ配線作業の約半分の秒数(平均四秒ないし五秒)ですることが定められていた。そのため、原告は下を向いて座った姿勢のまま、一日四〇〇〇回ないし五〇〇〇回にも及ぶ右腕の上げ下げの動作を繰り返し、その結果右腕が抜けるように痛くなり、右肩、背中に痛みを感じ、帰宅後家人に揉んでもらったり、湿布薬を貼ったりした。

原告は、同年八月半ばから同年一一月末まで、痔の治療のため入院、手術を受け、会社を休業したが、右休業期間中は仲工場での作業から離れたため、右腕、肩、背中のしびれ、痛み等の症状は消失した。

(ロ) 川崎工場における時期(昭和五一年一二月から昭和五三年六月)

原告は、昭和五一年一二月、前記痔の治療を終え、旧会社の仲工場と千年工場を統合して新設された川崎工場に復職し、同工場の製造ラインにおいてからげ配線作業及びワイヤーラッパー作業に従事した。これらの作業に従事すると、原告には再び前記の症状が現れ始め、製造ラインに品質管理の厳しい米国GE社向けのトランシーバーが流され、生産台数が通常の半分の二〇〇台ないし三〇〇台に減らされる日が続くと、右腕のしびれ、腕、肩、背中の痛みもとれることがあったが、生産台数が通常に戻ったり、飛躍的に増大した場合には、腕のしびれ、痛み、肩から背中の痛みが直ちに出てきて、原告は終業後、指圧医院に通ったりした。特に昭和五二年三月から四月頃にかけて一〇日間ほど、通常の倍に近い約八〇〇台のCBトランシーバーセットがラインに流された際には、原告は平均三秒で一ラップの作業を強制され、一日六〇〇〇回ないし七〇〇〇回右腕の上げ下げの動作を繰り返すことを余儀なくされたが、その結果、右腕のしびれ、脱力感、痛み、右肩から背中への痛みが急激に強くなり、右手に持ったお茶やコーヒーなどをよくこぼす状態になった。

原告は、同年九月、エアドライバーによるビス止め作業に従事したが、ビス止め作業は、ドライバーを右手で握り締めたうえ、ドライバーを垂直にして外枠等をビスで止める組立作業を内容としており、作業態様は前記のワイヤーラッパー作業と基本的に同様であって、右腕の上げ下げの動作は一日四〇〇〇回ないし五〇〇〇回にも及び、右腕のしびれ、脱力感は相変わらず続き、しかも初めての作業でエアドライバーの扱いに慣れず神経を使った。また、原告は、右ビス止め作業に伴って、プリント基盤の入っていた(約一キログラムの重量)箱の上げ降しが必要であったが、一日一〇回位の上げ降しにより腰に痛みを感じることもあった。

原告は、同年一〇月、再びワイヤーラッパー作業に従事したが、右腕のしびれ、脱力感、肩、背中の痛みは持続し、右手に持った物をよく取り落とす症状も続いて、指圧院にも引き続き通院した。

昭和五三年三月川崎工場の閉鎖が発表され、同年四月初旬からはライン作業がなくなり、作業量が大幅に減少したため、原告は、肩こりの症状が残っていたものの、右腕のしびれ、脱力感等はとれるまでに軽快し、同年六月の川崎工場閉鎖から同年一〇月まで川崎工場で就労しなかった時期は、原告の右各症状は殆ど消失するまでに回復した。

(ハ) 玉川作業所における時期 第一期(昭和五三年一〇月から昭和五四年六月)

玉川作業所は、従来の仲工場、川崎工場と違い、完成品を作らず、旧会社の他工場(北海道工場、福島工場等)の下請けを行う補助作業所であり、作業内容としては、完成品の作り直し(製品の解体、修理)、前面板加工、スイッチ、ボリュームの配線、プリント基盤の改造・検査修正等の作業が行われ、作業態様もベルトコンベアーによる流れ作業ではなく、部品の手渡し等による作業であったが、その作業内容は一定せず、一週間、一〇日間で変更されたため、原告は精神的緊張の連続を余儀なくされた。

また、昭和五四年三月から同年五月までの間は、会社の一時休業(同年三月五日から同月一五日)や一日中椅子に座って現場で待機している状態が続き、原告には殆ど仕事らしい仕事が与えられなかった。

(ニ) 玉川作業所における時期 第二期(昭和五四年六月から昭和五五年四月)

旧会社の玉川作業所での生産方針は、トランシーバー主軸からカーラジオ、音響機器へと転換がみられ、昭和五四年六月以降、玉川作業所での作業は、ダイオード、抵抗器のリード線をプリント基盤にさし込むための部品加工のおり(折り)作業と、これらの部品及びトランジスターコンデンサー、コイル等をプリント基盤にさし込むさし(挿入)作業となった。これらの作業はローラで部品を隣に送る作業台で行われたが、さし作業のうち、トランジスター、抵抗器のさし作業は特に指先(右親指、人差指)に力を入れてさし込まなければ不良品になるので、指先が痛み出し、また作業姿勢は川崎工場での作業に比べ一層前屈みにならざるをえず、そのため原告の肩は凝る状態からちくちく痛む症状が出始め、同年七、八月知人に鍼を打ってもらうこともしばしばであった。

旧会社は被告の系列工場下に入った同年九月頃から、徐々に玉川作業所での作業量を増やし、同年一一月には作業量が飛躍的に増大し、原告はおり・さし作業にピン打ち作業(基盤にピンを打ち込む作業)も行い、おり作業は同年九月には一日六〇〇〇本、同年一一月には九八〇〇本、ピン打ち作業は一一月には一日九〇〇〇本以上に及び、右手指、右腕を集中して使用した。そのため、原告はこの頃から右腕の痛みが強くなり、背中が重苦しく朝起きるのが辛くなり、特に左側の首筋から背中の筋がはり、頭を下に向けると頭痛がしてくる症状が出始め、同じ頃同じ症状を訴える同僚も出始めた。原告の右の症状はその後も徐々に増悪し、昭和五五年二月には、腕の痛み、肩の凝り、首筋のはり、背中の重苦しさから、腰部の通み、足のむくみも生じ始め、全身疲労の段階にまで進んだ。原告は、同月一八日朝、背中が重苦しく起きられなかったため、風邪を欠勤の理由として届け出て玉川作業所を休み、一日中床につき、翌一九日には、同様に背中が重苦しく起き難かったが、無理して出勤し、一時間三〇分遅刻してやっと仕事につくという状況であった。

同年三月に入り、原告の病状は更に悪化し、背中の重苦しさに加え、首筋、首回りが強く痛み始め、原告はおり作業を三〇分と続けられず、下向き前屈みが苦しいため、立ったり座ったり、椅子の高さを調整したりするなどしてやっと作業を終える状況であり、終業後指圧院に通院したが効果はなく、原告の症状は悪化するばかりであった。そして、原告は、同年四月一一日以降、旧会社を欠勤するに至った。

(2) 旧会社における労務管理及び作業環境について

原告が旧会社に入社した昭和五一年二月頃、旧会社においては、生産、売上高前年度比四倍一〇〇〇億円(昭和五〇年度は二六一億円)という膨大な増産計画を掲げ、各工場は増産体制に入り、加えて不良率〇・三パーセントのスローガンの下に品質管理の徹底が図られ、ミス発生箇所及びミス発生者が直ちに発見できる体制(QC運動)が展開されていたところ、被告が従事した仲工場、川崎工場においても旧会社の急激な増産体制を支えるべく、一人当りの売上高の倍増を目標(昭和五一年三月 一九一五万円、昭和五二年三月 四〇〇〇万円)に、職制がストップウォッチを手にしてライン作業従事者の背後に立ち、一作業工程の秒数をはかり、早い従事者にあわせて組立品を流して仕事量を増やし、また不良品が出るとその部分を担当した従事者を全員の目の前で怒鳴りつけ、嫌みを言うなどしてライン作業従事者の精神を極限状態まで緊張させて作業を行わせた。しかも、仲工場内の環境は、コンベアーによる流れ作業のため、製造ラインのドラムが回る音(ゴーという音)が発生し、これにトランシーバーの調整、試験音(ピーッという神経をイライラさせる音)が混じる騒音で満ちあふれ、そのため原告は終業後もこれらの騒音が耳に残る状態であり、川崎工場内においても同様であった。このような状況の中で、トイレすら自由に行けないなどの労働強化は、ライン従事者の多くに、肩に痛み、腕のしびれをもたらし、そのため作業に耐えられず退職していく者が跡を絶たなかった。

玉川作業所においては、おり・さし作業等主に他工場の部品製造、前段加工の単純作業の繰り返しが行われたが、昭和五四年九月旧会社が被告グループに組み入れられてからは、ライン作業従事者の背後で原告らの作業量を記録して監視を強め、おり・さし作業等の作業量を著しく増大させた。しかも、玉川作業所は倉庫を改造した急ごしらえの作業場で、換気、冷暖房、照明等の設備は劣悪なものであるうえ、照明の一部が点灯しなくなっても「省エネ」、「経費節減」との名目で新しい蛍光灯の設置を拒否され、原告らは薄暗い照明の中での作業を強いられ、目を著しく疲れさせるままに放置させられた。

(3) 旧会社の頸肩腕障害対策について

原告が従事した仲工場、川崎工場及び玉川作業所においては、ミスが絶対に許されないなど極度の神経集中が強制され、上肢等身体の一部のみを使用する単純労働が繰り返し行われ、かつ労働密度(単位時間あたりの労働量)も増大するなど、従業員に職業性頸肩腕障害等の健康被害が生じうる諸条件があったにもかかわらず、更に手指等を集中して使用する引金付工具作業(原告が作業で使用したエアードライバー、エアーラッパー等がこれに該当する)に従事する労働者の手指に障害を生ずる健康破壊が発生し、これらの障害を防止するため労働省の通達「引金付工具使用作業指導要領」(昭和五〇・二・一九基発第九四号)が定められ、関係者への行政指導が行われていたにもかかわらず、旧会社は右指導要領をも無視し、一般の健康診断を年一回行うのみで、職場体操の励行、適切な安全衛生教育等も全く行わず、従業員に対する健康管理は無に等しいものであった。

(4) 玉川作業所における他の従業員の健康被害について

玉川作業所における昭和五四年九月以降の作業量、作業密度の急増に伴い、同作業所内の女性従業員の間で、肩凝り、腰痛を訴える者が増え、中には実際に通院する従業員も何人か見られるようになった。そのため玉川作業所の従業員を中心に組織されている総評全国一般神奈川地方連合サイバネット工業支部は、昭和五五年六月頃同支部組合員に対し、「労災についてのアンケート」を実施したところ、女性従業員回答数一八名のうち、頸、肩、腕、腰、関節の障害について、(イ) 時々休む 二名、(ロ) 時々休憩しないと仕事が続かない 三名、(ハ) 休憩をとるほどではないが、かなりひどい 三名の回答があり、そのうち治療のため受診した者が六名いることが判明した。また、右アンケートの中で右症状が長時間同じ姿勢をとることに起因している(「同じ姿勢で前に屈む様にして仕事をするから」、「同じ姿勢が続いたので肩凝りがぶり返し、首すじや腕の痛みにまで進んだ」等)と六名の者が回答し、症状が発生した時期については、昭和五四年秋が一名、同年冬が二名、翌年春が五名となっており、原告の症状が悪化した時期と一致している。

(5) 頸肩腕障害の発症要因について頸肩腕障害は、直接的には上肢の動的筋労作、又は上肢の静的筋労作(頸部を前屈位で保持することが必要とされる作業も含む)を主とする業務に相当期間継続して従事した労働者に発症するものをいう旨労働省の通達(「キーパンチャー等上肢作業に基づく疾病の業務外の認定基準について」昭和五〇年・二・五基発第五九号)に明示され、また、産業衛生学会頸肩腕症候群委員会は、職場で多発してきた頸肩腕を中心とする症状に対し診断名を「職業性頸肩腕障害」とすることを提案し、その定義として「業務による障害を対象とする。すなわち上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業により、神経、筋疲労を生ずる結果起こる機能的あるいは器質的障害である。但し、病像形成に精神的因子及び環境因子の関与も無視しえない。」旨報告しているが、原告が従事したからげ配線作業、ワイヤーラッパー作業、ビス止め作業、ピン打ち作業及びおり・さし作業は、いずれも作業者が椅子に座ったままライン作業台に前屈みの姿勢を保持し、手指のみを繰り返し使用する作業であり、その頸部を中心とした姿勢保持筋の負担(静的筋労作)は頸部、背部のみならず腰部の筋疲労を生み、手指の繰り返し使用という動的筋労作は、その単調性からくる精神的負担と相まって、回復しがたい筋疲労を蓄積させ、それらの作業疲労の蓄積が、騒音、冷暖房、照明、換気等の不良な作業環境から生ずる肉体的、精神的疲労や旧会社の従業員に対する健康管理対策の欠如等ともあいまって、頸肩腕障害の発症要因となったものである。頸肩腕障害は、その成因の基本は作業疲労の蓄積にあるところ、作業負担、職場環境等からくる肉体的、精神的疲労が生理的範囲にある場合には睡眠等の休息により回復が期待できるが、負担の増大に伴い疲労が翌日に持ち越されるなどの現象が生じてくる場合作業者の身体的条件は悪化し、作業能力は低下し、その結果、従前の労働が当該作業者にとって相対的に過重となり障害が発生する。しかもこれらの障害は、作業による神経、筋疲労を生ずる結果引き起こされるため、表だった症状としては発現せず、初期段階の頸、肩の痛み等を覚えつつも、その症状で作業を継続することにより、相当疲労が蓄積し、作業の継続が困難となるくらい悪化して初めて医者に受診する場合が多い。この段階では、単に作業中止では症状が回復せず、休業をして徐々に回復させるための長期の加療が必要となる。前記のとおり、原告の仲工場、川崎工場の就労の時期には痔による手術入院、川崎工場閉鎖による就労不能状態による作業の中断があり、これが原告の身体に予期せぬ好結果をもたらし、玉川作業所へ移るまでは原告の疾病は重篤な状態へと至らなかったのであるが、玉川作業所へ移り、当初は作業量が一時的減少傾向にあったものの、昭和五四年六月頃からプリント基盤挿入作業を中心に輸出用トランシーバーの改造作業等、作業量が増加し、とりわけ同年九月頃から翌年三月頃まで急増したため、原告の病状は悪化し、治療、休業を要する重篤な段階にまで達し、原告は病休にまで追い込まれたものであった。しかも、前記のとおり、原告の症状が悪化した時期に、玉川作業所の他の女性労働者の間にも原告と同じ症状を訴え、健康を損ねていた者がいたのであって、このことからも旧会社の業務と原告の疾病の因果関係は明らかというべきである。

(三)  右にみたとおりであるから、旧会社が原告に対して行った休職の措置は、就業規則一八条一号に定める「業務外の傷病による欠勤」の要件を欠き無効であり、従って右休職の措置を前提として行われた原告に対する退職の措置も当然無効である。それゆえ、原告に対する右退職の措置は、業務上傷病の療養のため休業している期間中になされた解雇にほかならないから、労働基準法一九条一項にも明らかに違反し、無効である。

五  原告の右主張(四項2)に対する認否及び反論

1(一)  原告の右四項2の(一)の事実中、原告が、昭和五五年四月一〇日付の原田医師の診断書を提出して同月一一日から旧会社を欠勤し、同年六月二〇日付の今井医師による原告主張の病名の診断書を提出し、その疾病が旧会社の業務に起因する旨主張したこと、旧会社が右主張を認めなかったことは認め、その余の事実は不知。

(二)  同項2の(二)の前文の主張は争う。

(三)  同項2の(二)(1)(原告の業務内容と健康状態の推移について)に対する認否

(1) その(イ)の事実のうち、原告が、昭和五一年二月二三日、旧会社に入社し、実習の後、仲工場の製造ラインに就いてトランシーバーの配線作業に従事したこと、労働時間が原告主張のとおりであったこと、からげ配線作業は、作業者が右手にラジオペンチを持ち、ラインを流れるプリント基盤の端子に線材をまきからげ、線材の余りをニッパーで切断し、線材をまきからげた部分を左手でハンダ付けする作業であること、原告は原告主張の頃からげ配線作業からワイヤーラッパー作業に交替したこと、ワイヤーラッパー作業は、作業者が目の前に下げられている圧縮空気式のワイヤーラッパーを右手に持って、端子に線材を巻きつける作業であること、原告は昭和五一年八月二一日から同年一一月三〇日まで痔の治療、入院のため旧会社を欠勤したことは認め、原告に主張の症状があったことは知らず、その余は否認する。

(2) その(ロ)の事実のうち、原告が、昭和五一年一二月、旧会社の仲工場と千年工場を統合して新設された川崎工場に復職し、川崎工場の製造ラインに加わり、からげ配線作業及びワイヤーラッパー作業に従事したこと、ラインには米国GE社関係のトランシーバーが流されたこと、原告が昭和五二年九月頃エアードライバーによるビス止め作業に従事したこと、右作業はドライバーを右手で握り締め、ドライバーを垂直にして外枠等をビスで止める組立作業であること、原告が同年一〇月頃ワイヤーラッパー作業に従事したこと、昭和五三年三月川崎工場閉鎖が発表され、同年四月初旬ライン作業がなくなり、作業量が大幅に減少したことは認め、原告に主張の症状があり、指圧院に通ったことは知らず、その余は否認する。

(3) その(ハ)の事実のうち、玉川作業所においては原告主張の内容の作業が行われ、作業態様は部品の手渡し等によるものであったこと、旧会社は原告主張の頃に休業し、当時旧会社には全社的に仕事がなかったことは認め、その余は否認する。

(4) その(ニ)の事実のうち、旧会社の玉川作業所では原告主張のような生産方針の転換があったこと、昭和五四年六月以降、玉川作業所ではおり・さし作業が行われたこと、旧会社は、同年九月、被告の資本系列に入ったこと(但し、生産系列化はされていない)、同月から同年一一月まで生産量が増加したこと(但し、生産量の増加は英国でのCBトランシーバー解禁に伴う受注増であり、被告の資本系列下に入ったこととは無関係である)、原告が昭和五五年二月一八日風邪を理由に欠勤し、翌一九日は一時間三〇分遅刻して出勤したこと、同年四月一一日以降欠勤したことは認め、原告に主張の症状があったこと、原告が指圧院に通院したことは知らず、その余は否認する。

(四)  同項2の(二)の(2)(玉川作業所における労務管理及び作業環境について)の事実のうち、原告主張当時旧会社が増産傾向にあったこと、職制がストップウォッチを手にしてライン作業従事者の背後に立ち、一作業工程の秒数をはかったことは認め、その余は否認する。作業時間を計測したのは、作業の工程の分析をし、作業のバランスを取り、より円滑な作業を行うための資料を得ることを目的としたものである。

(五)  同項2の(二)の(3)(旧会社の頸肩腕障害対策について)の事実のうち、原告主張の通達の存在は認め、その余は否認する。

(六)  同項2の(二)の(4)(玉川作業所における他の従業員の健康被害について)の事実のうち、アンケートに関する部分は知らず、その余は否認する。

(七)  同項2の(二)の(5)(頸肩腕障害の発症要因について)の事実のうち、原告主張の通達が存在すること、原告が従事した作業はいずれも椅子に座ったままの作業であることは認め、産業衛生学会頸肩腕症候群委員会による報告は知らず、その余は否認する。

2  原告の症状が旧会社の業務に起因したものでないことは原告の出勤状況、原告が担当した作業内容及び作業量等からして明らかである。すなわち、

(一) 原告の出勤状況

原告の出勤状況は劣悪であり、とりわけ原告が玉川作業所に就労した昭和五三年一〇月以降昭和五五年四月までの原告の月別出勤率(各期間内の所定就業日数に一日の就業時間七・七時間を乗じた数値を分母として、これから原告の休暇、欠勤、遅刻、早退等による不就労時間を控除した数値を分子として算出した数値)は平均六三・三四パーセントにすぎない。しかも、旧会社は、原告が就労して以後、一か月当り六日ないし一五日、平均すると一か月当り八・五日もの公休日を設けていた。

(二) 原告の作業内容及び作業量

(1) 仲工場における時期(昭和五一年二月から同年八月)

原告は、昭和五一年二月二三日、旧会社に入社し、約一週間の導入教育を経た後、仲工場のSSBトランスシーバーを製造するラインに配属され、からげ配線作業に従事した。からげ配線作業は、作業用の椅子の高低が自由に調整ができ、原告が主張するようにことさら前屈みの姿勢を取らなければできないものではなく、また旧会社は、手首ではなく腕全体を使ってからげ配線作業を行うよう指導しており、原告が主張するように手首を曲げて何台ものからげ配線作業を行うことは不可能である。当時の仲工場におけるSSBトランシーバーの生産実績は、昭和五一年四月、月産三五九九台、日産一六三台、同年五月、月産三七八三台、日産一七一台にすぎず、しかもこの間、トラブルなどによって作業をやり直した製品はなく、単純な配線ミスがあった場合の修理は配線作業を担当した者が直すことはなかったから、生産台数はライン作業の担当者の作業台数と一致する。同年六月、七月の一日の平均生産台数も約一七〇台であり、この間もトラブルの生じた製品はなく、生産台数はライン作業担当者の作業台数と一致する。当時のトランシーバー一台におけるからげ配線作業の一人当りの作業持点は、作業者によって個人差があり、機種によっても差異があったが、熟練者の持点は五点ないし八点であったのに、原告は作業が遅い方であったので、熟練者と比較して一、二点少ない四点ないし七点の作業持点を負担するにすぎなかった。以上の生産台数及び作業持点から一日のからげ配線の延べ回数を算出すると、ベテランでも八五〇回(一七〇台×五点)ないし一三六〇回(一七〇台×八点)にすぎず、右作業回数からからげ配線一点当りの作業所要時間を逆算すると、一〇パーセントのロス時間を見込んでも、持点八点の場合一点当たり約一八・三秒(七時間四〇分×六〇秒×九〇パーセント÷一三六〇回)、持点五点の場合一点当たり二九・二秒になり、ひっかけ配線、巻きつけ配線などの標準作業時間と比較しても、十分余裕のある作業時間であった。

その後、原告は、昭和五一年七月半ばから翌八月半ばまでの約一か月間、ワイヤーラッパー作業に従事した。ワイヤーラッパー作業も、ことさら前屈みの姿勢を取らなければ出来ない作業ではなく、またエアーラッパーにはバランサーが付いているため、上げ下げに格別の力が必要でなく、これを握ったまま作業をする必要もない。当時のワイヤーラッパー作業の一人当りの標準作業持点は、八点ないし一二点であったものの、原告は新人であることを配慮され当初二点ないし三点の持点を担当し、その後七点位を担当した。当時のワイヤーラッパー作業の一人当たりの作業所要時間を、からげ配線作業と同様に算出すれば、一人八点担当の場合一点当たり約一八・三秒、一人九点担当の場合一点当たり約一六・二秒にすぎず、この作業も極めて余裕時間のある作業であったことが明らかである。

(2) 川崎工場における時期(昭和五一年一二月から昭和五三年六月)

原告は、昭和五一年一二月一日、川崎工場に復帰した(昭和五一年八月二一日から同年一一月三〇日まで痔の治療のため長期欠勤)が、退院して間もないことを考慮され、ライン作業に就かずにSSBトランシーバーのカバーのテープ貼り、前面板の加工等の軽作業に従事し、昭和五二年一月末からはライン作業に復帰し、同年四月まで、からげ配線作業及びワイヤーラッパー作業に従事した。原告がライン作業に復帰した昭和五二年二月から同年四月までの原告所属ラインに流されたトランシーバーの台数は、一日平均約二百数十台にすぎず、しかも当時ラインに流された製品はトラブルのない機種でやり直し作業をさせられたこともなかった。しかも、同年四月は、一日から二四日までは受注減のために原告所属のラインでは作業が行われず、その間原告は前加工等の軽作業に従事し、同年五月から翌六月一三日までの間は、旧会社は大幅な受注減に陥り、原告の所属ラインではライン作業が殆ど行われなかった。原告がライン作業に復帰した時期の作業密度は、現在製造業について最も一般的に用いられている動作時間標準法であるWF法に基づく標準的な作業密度の最高値でせいぜい四九パーセントにしか達しておらず、極めて余裕のある作業状況であった。原告は、同年六月一四日から再びライン作業に従事し、ワイヤーラッパー作業等を行った。同年六月一四日から昭和五三年六月二〇日までの間の作業量・作業密度は、川崎工場での一人一日当たりの平均生産金額が昭和五二年九月、一〇月において同年二月、三月のそれと同水準を維持したほかは極めて低調であったことから明らかなように、低かった(そもそも同年二月、三月の作業密度がWF法に照らして極めて余裕のあるものであったことは前記のとおりである)。

(3) 玉川作業所における時期(昭和五三年一〇月二一日から昭和五五年四月)

旧会社は、昭和五三年六月二一日、不況のため川崎工場の閉鎖を余儀なくされ、同日から翌七月二六日まで休業し、川崎工場の従業員ほぼ全員を玉川作業所へ配置転換したが、原告は川崎工場閉鎖に反対し、他の従業員とともにストライキを行って、同月二七日から同年一〇月一九日までの間、玉川作業所で就労しなかった。原告が、同月二一日、玉川作業所での就労を開始した当時も、旧会社の不況は依然深刻であり、玉川作業所においてもスポット的にマイクロホンの銘板張り替え、ツマミ加工、コード選別の軽作業が行われる程度であり、作業密度は極端に低下し、しかも玉川作業所では、この間の昭和五四年三月五日から一五日まで臨時休業したほか、臨時休業後も同年五月頃までそれほど仕事がなく、原告らは待機していることが多かった。原告は、昭和五四年六月頃からプリント基盤のさし作業に従事したが、この時期の作業密度もWF法による標準的な作業密度と比較しても高くなく、極めて余裕時間のある作業であった。

(三) 原告の健康状態

旧会社では従前から従業員に対し、毎年一般健康診断と、ハンダ等を取り扱う者に対して鉛健康診断を実施してきたが、健康診断記録によっても、その健康診断の際原告から本件症状に関する訴えは一度もなく、かえって過去原告について二度行われた鉛健康診断記録によれば、原告は本件症状に関する項目について自覚症状なしと積極的に回答している。また、原告が主張する本件症状が現実に存在していたのであれば、体の不調を上司や同僚に訴え、作業の分担等を配慮してもらう等の行動を起こすはずであるが、原告は右のような行動を一度もとっていない。しかも、原告の欠勤、遅刻の理由は、その大半が「組合活動」であって、病気によるものも風邪、貧血、腹痛等であって、原告が主張する本件疾病とは全く関わりがないものである。

六  再抗弁(労働組合法七条違反―不当労働行為)

原告は、前記のとおり、昭和五三年三月に旧会社内に組合分会を結成し、結成と同時に組合分会長に就任し、以来旧会社内で中心的活動を行っていたところ、原告に対する前記休職期間が満了したとして退職扱いとした旧会社の措置は、原告の疾病を奇貨として、休職期間満了にかこつけ原告を職場から排除し、組合分会を破壊するためされたものであるから、労働組合法七条一号の差別取扱及び同条三号の支配介入に該当し、不当労働行為として無効である。すなわち、組合分会と旧会社は、川崎工場閉鎖問題や玉川作業所への配転問題等をめぐって激しく対立し、そのため紛争が生じていたが、原告は組合分会においてただ一人の組合員であったから、原告を職場から排除すれば組合分会の活動は停止し、破壊される状況であったところ、旧会社は右状況を十分認識したうえで、原告を休職にするに際し休職期間を就業規則上最短の二か月間とし、右休職期間満了後直ちに退職通知を発して原告を退職させたものであり、このことは、旧会社の従業員で非組合員であった大木信子(以下「大木」という)が、昭和五三年一〇月三〇日肝障害で欠勤し、以降昭和五九年に死亡するまでの約六年間を私病の休職扱いにされながらも休職期間を延長され、退職扱いにならなかった前例と比較して、明らかに不公平な扱いであるから、旧会社の原告に対する退職の措置は不当労働行為を構成する。しかも、被告は、従前から就業規則の休職規定の適用前例はなく、原告に対するものが初めてである旨主張し、休職規定適用の右前例を隠し続けてきたものであって、このことからも被告の不当労働行為の意思は明らかである。

七  再抗弁に対する認否と主張

1  再抗弁の事実のうち、旧会社が原告に対する休職期間を二か月と決定し、休職期間満了後原告に対し退職通知をしたことは認め、原告が組合分会結成と同時に分会会長に就任したことは知らず、その余の事実は否認する。

2  旧会社が原告の休職期間を二か月と決定したのは原告のこれまでの勤務成績等を考慮したものであり、また休職期間を延長しなかったのは、原告の疾病が業務に起因するものであるか否か検討するため原告に対し旧会社の指定医の診断を受けるよう指示したところ、原告がこれを拒否し依然として欠勤を続けたため、旧会社としては原告の疾病が業務に起因するものとは認められず、復職の見込みもないと判断したものであることは前記三主張のとおりであって、旧会社の原告に対する本件退職の措置は原告の組合活動を嫌悪してなされたものではなく、何等不当労働行為を構成するものではない。また、大木の場合の欠勤の取扱いについては、大木は欠勤した昭和五三年一〇月頃、当時旧会社の本社に勤務し(因みに、当時、旧会社では本社と玉川作業所とで異なる就業規則を適用していた)、有機溶剤を使用する作業に従事していたところ、大木の入院先の聖マリアンナ医科大学の担当医から大木の疾病の発症の原因が有機溶剤ではないかとの指摘があり、旧会社の嘱託医も同様の意見であったため、旧会社では就業規則の休職規定を適用せずに、大木を承認欠勤として取扱ったのであるから、原告の場合とはその前提事実を異にする。

第三証拠(略)

理由

第一地位確認請求について

一  請求原因1ないし3項のうち、原告が組合分会を結成し、結成と同時に分会長に就任した事実を除いて当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、原告が、昭和五三年三月、組合分会を結成し、結成と同時に組合分会長に就任したことが認められる。

二  そこで、抗弁(原告の休職期間満了に伴う退職)について検討する。

1  原告が旧会社を退職扱いされるに至った経緯

(一) 原告が新城整形外科の原田医師により脊椎椎間軟骨症の病名の診断を受け、昭和五五年四月一一日以降旧会社を欠勤したこと、原告は旧会社より同年六月一一日から二か月間の休職を命じられたこと、原告が原田医師から港町診療所の今井医師に主治医を変更したこと、原告は旧会社から旧会社指定の専門医の診断を受けるよう指示されたこと、旧会社が原告に対し退職通知をしたことは当事者間に争いがない。

(二) 右争いのない事実に、(証拠略)によれば次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 原告は、背中の疼痛、肩凝り、腰痛等があるとして、昭和五五年四月七日新城整形外科医院に通院し始め、同医院の原田医師から原告の疾病が脊椎椎間軟骨症であるとの診断を受け、約三週間の安静加療を指示されたため、同月一〇日、旧会社に対し、脊椎椎間軟骨症、約三週間の安静加療を要する旨の同日付診断書を提出したうえ、翌一一日から旧会社を欠勤し、その後も同医院に通院して治療を受ける一方、同年五月六日付の診断書(脊椎椎間軟骨症、なお約三週間の安静加療を要する)及び同月二八日付の診断書(脊椎椎間軟骨症、なお約二週間の安静加療を要する)を各提出して引き続き旧会社を欠勤した。

(2) これに対し、旧会社は、原告から提出された右各診断書に記載された病名が脊椎椎間軟骨症であり、業務外の傷病であると判断して、昭和五五年六月一一日、就業規則一八条一号(一八条 社員が次の各号の一に該当するときは休職とする。但し、特別の事情を認めた場合は例外の取扱いをすることがある。1 業務外の傷病による欠勤が二か月を経過しても治癒しないとき及び医師が休職の必要ありと認めたとき)に基づいて原告を休職処分にし、原告のこれまでの勤務状況等を考慮して休職期間を同日から二か月間と決定して、同月一六日付で原告に対し休職通知書を送付した。

(3) 一方、原告は、新城整形外科医院への通院をやめて、昭和五五年六月六日港町診療所に通院を始め、同診療所の今井医師から原告の疾病が旧会社の業務に起因する頸肩腕障害及び腰痛症との診断を受け、同月二四日、同医師作成の同月二〇日付診断書(頸肩腕障害、腰痛症により同月一三日から約一か月間の休業加療を要する)を旧会社に提出し、組合も、同日、旧会社に対し、旧会社が原告の疾病を業務上の傷病と認めるよう団体交渉を申し入れたが、旧会社は、組合に対し、同月二六日付書面をもって、原告が旧会社指定医の診断を受け、旧会社が業務上の傷病として認定した者については業務上の傷病として扱う旨回答した。更に、組合は旧会社に対し、同年七月四日付書面をもって、原告の休職期間を最短の二か月間とする旧会社の措置に抗議し、旧会社が原告の疾病を業務上の傷病として扱うよう要求するとともに、再度団体交渉を申し入れた。その結果、同月八日、旧会社と組合との間で団体交渉がもたれ、組合は旧会社に対し、再度原告の休職期間を二か月とする措置に抗議するとともに、原告の疾病を業務上の傷病として扱うよう要求したが、これに対し旧会社は、原告の休職期間を二か月間と決定したことについては会社の裁量権の問題であり、原告の疾病が旧会社の業務に起因するものであると認定するためには旧会社の指定医のその旨の診断が存在することを要するとの主張をし、団体交渉は物別れに終わった。

(4) 旧会社は、原告に対し、六月一六日通知書をもって、三名の指定医(いずれも整形外科の専門医)を具体的に定めるとともに、検診費用及び交通費は旧会社が負担し、指定医、診察日について原告の希望をできるだけ容れるので、当該指定医の診断を受けるよう求めたが、原告はこれに応じなかった。他方、組合は、旧会社に対し、七月二二日付団体交渉要求書をもって、原告に対する休職通知を撤回するとともに、原告の疾病を業務上の傷病として認めるよう再度の団体交渉を求めたが、旧会社は、同月二九日付回答書をもって、旧会社の考えは同月八日に行われた団体交渉において説明したとおりであり、原告の休職の扱いは原告個人の問題であり、団体交渉になじまない旨通知し、団体交渉に応じなかった。

(5) 旧会社の担当者は、同月頃、新城整形外科医院の原田医師を訪ね、原告の疾病の原因について尋ねたところ、原田医師から原告の疾病が旧会社の業務に起因するものではない旨の説明を受けた。

(6) その後も、原告は、旧会社に対し、今井医師作成の「病名 頸肩腕障害、腰痛症。昭和五五年七月一三日より同月三一日までの休業加療を要した。この間症状は徐々に軽減しつつあるが、本日より更に一ケ月間の休業加療を要する。」旨記載された同年八月一日付診断書を提出して休職期限の八月一〇日をもって退職扱いにしないよう要求し、組合は団体交渉の要求等を行い、他方旧会社は原告に対し、旧会社の指定医の診断を受けるよう要請し、原告及び組合と旧会社双方の主張は歩み寄りのないままであった。

(7) 旧会社は、原告の休職期間満了に伴い、就業規則一九条5号(一九条休職期間は次のとおりとする。1 前条1、2の場合は二カ月以上六カ月とする。5 会社は事情により休職期間を延長することがある。)の退職期間延長規定を適用することなく、原告に対し、同月一〇日付通知書をもって、原告から休職期間満了日(同月一〇日)までに所定の復帰手続きがなされず、かつ原告に治癒の見込みも望めないものと判断して、就業規則二一条(二一条 社員が次の各号の一に該当するに至ったときは、その日を退職の日として社員の身分を失う。4 休職期間が満了しても復職の望みなしと認められた時。)により原告が右の日付で旧会社を退職となった旨通知した。

2  原告の症状の業務起因性

そこで、次に、休職扱いの原因となった原告の症状が業務外の傷病か否かについて検討を加えることとする。

(一) 原告の作業内容等

(1) 次の事実は当事者間に争いがない。

(イ)原告が、昭和五一年二月二三日旧会社に入社し、実習を受けた後、仲工場の製造ラインに就いてトランシーバーの配線作業に従事したこと、仲工場での就労時間は、午前八時二〇分から午後五時一〇分までの勤務で、その間午前一〇時に五分、昼に五〇分、午後三時に一〇分の各休憩時間があり、実働時間七時間四五分であったこと、からげ配線作業は、作業者が右手にラジオペンチを持ち、ラインを流れるプリント基盤の端子に線材をまきからげ、線材の余りをニッパーで切断し、線材をまきからげた部分を左手でハンダ付けする作業であること、その後原告が就いたワイヤーラッパー作業は、作業者が目の前に下げられている圧縮空気式のワイヤーラッパーを右手に持って、端子に線材を巻き付ける作業であること、原告は同年八月二一日から同年一一月三〇日まで痔の治療・入院のため旧会社を欠勤したこと、(ロ)原告は、同年一二月旧会社の仲工場と千年工場を統合して新設された川崎工場に復職し、製造ラインに加わり、からげ配線作業及びワイヤーラッパー作業に従事したこと、原告は昭和五二年九月頃エアードライバーによるビス止め作業に従事したこと、右作業はドライバーを右手で握り締め、それを垂直にして外枠等をビスで止める組立作業であること、原告が同年一〇月頃ワイヤーラッパー作業に従事したこと、旧会社は昭和五三年三月川崎工場の閉鎖を発表したこと、同年四月初旬にはライン作業がなくなり、作業量が大幅に減少したこと、(ハ)玉川作業所では、当初完成品の作り直し(製品の解体修理)、前面板加工、スイッチ・ボリュームの配線、プリント基盤の改造・検査・修正等の作業が行われたこと、旧会社は昭和五四年三月五日から同月一五日まで休業し、同年三月から五月頃までほとんど仕事らしい仕事がなかったこと、同年六月以降、玉川作業所においてトランシーバーからカーラジオ、音響機器へと生産方針の転換があったこと、玉川作業所ではおり・さし作業が行われたこと、旧会社は同年九月被告の資本系列に入ったこと、旧会社は同年九月から同年一一月まで生産量が増加したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(2) 右争いのない事実に、(証拠略)によれば次の事実が認められ、(人証略)中右の認定に反する部分は前掲各証拠に照らし採用できない。

(イ) 旧会社の主力商品は通信機関係と音響関係の商品であり、仲工場及び川崎工場においては通信機関係、特に輸出用トランシーバーの製造が主力であった。仲工場及び川崎工場には数本の製造ラインがあって、各ラインごとに製造するトランシーバーの機種がおおよそ決められていて、旧会社の本社から生産を指示されたトランシーバーについて、その機種に従って製造ラインが決められ、流れ作業による製造が行われていた。

(ロ) 原告は、仲工場の製造ラインにおいてトランシーバーのからげ配線作業に従事し、その後同年七月半ばから痔の治療のために同年八月二一日に欠勤するまでワイヤーラッパー作業に従事したが、原告が所属していた仲工場の製造ラインでは主にSSBトランシーバーの製造が行われており、右トランシーバーの製造作業は、フリーフローライン(ドラムが回り、その上に板を載せ、板の上に載せてある製品を板ごと流す構造)と呼ばれる自動ラインによる流れ作業で、約四〇名前後の作業者が組立、配線、調整及び試験等の各工程に配属され、分担して作業に従事していた。各作業者は椅子に座りながら、自動的に流れてくる仕掛品を作業者の前に設置されているストッパーと呼ばれる装置で止め、自己の前のライン上の仕掛品に対し、予めラインのリーダーが定めた作業持ち時間(これは一日に製造ラインに流される予定の仕掛品の台数によって異なる)内に各自が決められた作業を行い、作業持ち時間終了を告げるチャイムの合図に従って、ストッパーの装置を解除して、隣の作業者に仕掛品を流した。

原告の行ったからげ配線作業及びワイヤーラッパー作業はいずれもライン作業の配線工程での作業であり、この配線工程の作業者は一四名前後であったが、右のからげ配線作業は、作業者が右手にラジオペンチを持って、プリント基盤の端子に線材をからげ、線材の余りをニッパーで切断し(からげ作業)、その後、右手にハンダごてを持ち、左手にハンダを持って、配線後の端子にハンダを流して固定させる作業(ハンダ付け作業)であり、またワイヤーラッパー作業は、作業者が作業者の肩付近の高さに下げられているワイヤーラッパー(圧縮空気による巻付機であり、バランサーに連結している)を右手に持ち、左手に線材を持って、端子に線材を巻き付ける作業である。

仕掛品一台について担当者が受持つ点数(作業持点)は、トランシーバーの機種によって異なるが、通常熟練者の場合からげ配線作業については四点ないし五点(SSB五〇Aのトランシーバー)若しくは八点(三〇七八のトランシーバー)で、ワイヤーラッパー作業については八点前後であったところ、原告は、当初就労後間もないこともあって、一点ないし二点作業持点を軽減されていた。

一日当り製造ラインに流されるトランシーバーの仕掛品の台数は、その機種に従ってあらかじめ決められている標準工数に、製造ラインでの作業時間の実測結果並びに過去における製造ラインにおける同機種のトランシーバーの一日の生産実績を考慮して決められていたが、原告が配属された仲工場の製造ラインでのトランシーバーの生産実績は、昭和五一年四月、SSB一〇〇の機種が二四一七台、SSB五〇Aの機種が一一八二台、同年五月、SSB五〇Aの機種が一八一八台、三〇七八の機種が一九六五台であり、同年四月から同年八月頃までの間、原告所属の製造ラインでは平均して一日約一七〇台のトランシーバーの仕掛品が流されたが、右は安定した製品であってトラブルによる作業のやり直しなどは無く、作業者は右生産台数とほぼ同数の組立、配線作業を行った。

右の各事実により、作業所要時間を計算すると、熟練者の場合でも、配線作業の一日の延べ回数は多くて一三六〇回(一七〇回×八点)であり、この作業回数から配線作業一点当りの作業所要時間を更に計算すると、ロス時間を一〇パーセント見込んでも、一点当り一八・四六秒(七時間四五分×六〇秒×九〇パーセント÷一三六〇回)となり、これは作業要素別標準時間リスト(乙二〇号証)における配線作業の所要時間の最大である一五・八秒と対比しても時間的に余裕があったものであり、またワイヤーラッパー作業の一日の延べ回数は同様に一三六〇回であり一点当りの作業所要時間は一八・四六秒となるから、ワイヤーラップの右標準作業時間の最大である七・五秒と対比しても時間的に余裕のあったことが明らかである。

なお、仲工場では、製造ラインで作業中にフリーフローラインのドラムによる騒音が発生していた。

(ハ) 原告は、昭和五一年八月二一日から同年一一月三〇日まで、痔の入院治療のため旧会社を欠勤したが、原告が欠勤している間に旧会社の仲工場と千年工場が統合されて川崎工場が新設され、原告は、同年一二月一日、新設された川崎工場に復職し、復職後しばらくはライン作業に就かずに、製造ラインに仕掛品を流す前の加工作業(カバーのテープ貼り、チャンネル盤のシール貼り、トランシーバーの前面板の加工等)という軽作業に従事し、その後昭和五二年一月末ライン作業に復帰して、再びトランシーバーのからげ配線作業、ワイヤーラッパー作業に従事したが、原告が軽作業に従事後配属された右の製造ラインは、原告の仲工場での製造ライン作業とほぼ同様のメンバーで構成され、引き続きSSBトランシーバーの製造が仲工場と同様に自動の製造ラインによって行われた。その場合の作業持点は、熟練者で、からげ配線作業については四点ないし五点、ワイヤーラッパー作業については一〇点前後であった。

原告所属の右製造ラインでは、昭和五二年一月一四日から同年三月二九日まで及び同年四月二五日から同月二九日までの間に、機種により差異があるが、一機種最大台数四〇〇台、一日平均最大台数約二八六台、一日平均最少台数約一六八台、従って一日平均約二百数十台のトランシーバーの仕掛品が流され、右の場合トラブルによる作業のやり直しなどはほとんどなかった。これにより作業所要時間を計算すると、やはり作業要素別標準時間リストの配線及びワイヤーラップの標準作業時間に達せず、余裕のあったことが明らかである。

旧会社では昭和五一年八月をピークとして主力商品の一つであったトランシーバーの需要が低下して受注が減少したため、昭和五二年四月一日から二四日まで及び同年五月から六月一三日までは、原告所属のラインはライン作業を行わず、同年六月には川崎工場において希望退職者を募って従業員を減らすとともに、製造ラインの本数を削減したが、同月一三日原告所属の製造ラインも解散し、原告は、他の製造ラインに配置転換された。原告は、配置転換後の製造ラインでSSBトランシーバー及びCBトランシーバーの仕掛品に対するワイヤーラッパー作業に従事したが、そのうちGE社向けの製品については品質管理が特に厳しかったけれども、すでに同種の製品を千年工場時代に取扱っていたうえ仕掛品一台当りに対する作業持ち時間につき作業後に再度見直すほどの時間的余裕を持って仕掛品を製造ラインに流すなど一日当りの仕掛品台数も従前の製造ラインに比べて減少させていた。そして、原告は、同年九月頃から約一か月間、製造ライン作業の組立工程での仕事であるエアードライバーによるビス止め作業に従事し、同年一〇月頃から昭和五三年四月初旬頃まで、再びワイヤーラッパー作業に従事したが、そのころワイヤーラッパー作業がなくなり、その後は仕事量が大幅に減少した。原告が右他の製造ラインに配置転換された昭和五二年六月から川崎工場が閉鎖された昭和五三年六月までの間の作業量についてみると、昭和五二年九月及び一〇月に一人一日当り平均生産金額がやゝ高水準を示したものの、それとても従前と比較すると低調であり、他の各月についてはそれに達せず減少していったのであって、右の間の作業密度は余裕あったものであることが推定できる。

なお、川崎工場においても製造ラインでの作業中は仲工場と同じくフリーフローラインのドラムによる騒音が発生し、また川崎工場では空気を対流させる装置が設置されていなかったため、夏期には冷房が効き過ぎることもあった。

(ニ) 旧会社は、昭和五三年三月川崎工場閉鎖を発表し、原告は、そのころ組合分会を結成し、結成と同時に組合分会長に就任し、川崎工場閉鎖に反対した。旧会社は、同年六月二一日、川崎工場を閉鎖し、原告ら従業員に対し玉川作業所への配置転換を命じたが、原告は、他の従業員の一部とこれに反対してストライキを行い、同年七月二一日から同年一〇月一九日まで玉川作業所での就業を拒否したのち、同月二〇日玉川作業所での就労を開始した。そして、原告は、昭和五四年五月頃まで、前面板加工、スイッチ・ボリュームの配線、プリント基盤の改造・検査・修正等の仕事に従事し、同年六月以降トランシーバーからカーラジオ、音響機器へ生産方針の転換があり、原告は翌年四月一一日に旧会社を欠勤するまで、おり・さし作業等プリント基盤の加工作業に従事した。

玉川作業所には仲工場、川崎工場とは異なり自動式の製造ラインが設置されずに、手動で製品を流す製造ラインが一本設置されているのみであった。また、玉川作業所においては、設置当初からトランシーバー等の製品の製造は行われず、旧会社の他工場で製造した製品の手直し作業(米国輸出向けのトランシーバーの在庫品を豪州向けの輸出品に改造するための手直し作業等)及び製造前の部品加工等の軽作業が行われ、原告が復帰した昭和五三年一〇月二〇日以降も同様の作業が行われたが、受注減少のため、昭和五四年三月五日から同月一五日まで玉川作業所を含む旧会社全体が臨時休業となり、その後も同年五月頃まで玉川作業所の仕事量は極めて少なかった。

原告が昭和五四年六月から行うようになったプリント基盤加工作業の内、さし作業は製造ラインの作業台の上に固定した枠を置き、その中にプリント基盤を並べ、抵抗器等の部品を挿入する作業(作業者は特定の部品の挿入を分担した)であり、おり作業(折り曲げ作業)はプリント基盤に挿入する抵抗器、ダイオードのリード線をプリント基盤の挿入幅に合わせるため、治具を使用して部品を何本かまとめて折り曲げる作業であったが、プリント基盤の加工作業者は椅子に座わりながら、製造ラインに向かって作業を行い、さし作業の場合は作業者自身が作業後移動し、その他の作業の場合には作業者が作業後ライン上の仕掛品を手動で隣の作業者に流し渡していた。プリント基盤加工作業の作業量は同年六月以降同年一〇月頃まで徐々に増加し、その後はほぼ一定した傾向にあったが、この間の作業密度は、作業要素別標準時間リストで対比すると、相当程度余裕のある作業内容であったし、そのうえこの間の原告は仕事をマイペースでゆっくり行っていたことが明らかである(ちなみに、昭和五四年一一月一四日午前八時二〇分から午後四時までの間の原告のダイオードの折り曲げ作業本数は九八〇〇本であり、当日午前八時二〇分から午後四時一〇分までの原告の同僚の同作業の作業本数は一万三五〇〇本であった)。

(二) 原告の勤務状況

(証拠略)によれば、原告の勤務状況並びに欠勤、遅刻等の状況は別紙「原告の出勤状況」記載のとおりであることが認められ、それは不良というほかなく、しかも、昭和五五年四月一一日からの長期欠勤までに本件症状を欠勤又は遅刻の事由とした事実は存在しないことが明らかである。

(三) 旧会社による健康診断の結果など

(1) (証拠略)によれば、旧会社は、毎年のように従業員を対象に一般健康診断と、ハンダ取扱者を対象に鉛健康診断を実施し、原告に対しても以下のとおりの健康診断を実施したが、その健康診断の際、医師から自覚症状等の問診が行われたのに原告から本件症状について訴えはなかった。

昭和五一年六月三〇日一般健康診断

昭和五二年一月二六日鉛健康診断

同年五月二七日一般健康診断

昭和五四年七月九日一般健康診断、鉛健康診断

(2) (人証拠)によれば、旧会社の仲工場、川崎工場及び玉川作業所勤務のいずれの時期においても、原告が上司に対し、本件症状を訴えたとの事実を認めることができず、また前記(二)でみたとおり、右勤務期間中における原告の欠勤の事由としては病気によることは少なく、病気の場合でも風邪、腹痛などであって、本件症状を理由とする欠勤事由は見出せない。

(四) 原告の症状の業務起因性について

(1) (証拠略)によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(イ) 原告は、昭和五五年四月七日に新城整形外科医院において原田医師の診察を受けた察、二、三か月前から背中の疼痛、腕のしびれ、首から肩にかけての凝り及び腰痛があることを訴え、これに対し同医師は、レントゲン検査等による診察の結果、原告の頸椎に前弯の減少及びその一部に棘突起の配列に乱れ、胸椎及び腰椎に側弯の異常があると判断し、原告の疾病が広い意味において頸肩腕症候群に属するが原告の素因に基づく脊椎椎間軟骨症と診断した。

(ロ) 一方、港町診療所の今井医師は、原告の頸椎及び腰椎のレントゲン検査の結果、原告には器質的な異常は認められないと判断し、原告が従事した作業内容、作業量を原告から聴取したうえ、これに原告の初診時の臨床症状(頭痛、腰痛、右腕のしびれ、右肩甲部の痛み、左大腿部のしびれ等の自覚症状、頸部運動痛、右後頭下部の圧痛等の他覚症状)、臨床検査所見(モーレイテスト、ライトテスト等)、原告に対する加療による治療効果から、原告の疾病が慢性疲労性疾病以外の器質的疾患は何ら想定できないものと判断して、原告の疾病を頸肩腕障害と診断した。

(ハ) ところで、頸肩腕障害なるものは、主に産業衛生学会において、上肢体及び上肢に負荷がかかったときに生ずる障害を総称する名称として与えられたものであり、頸肩腕症候群は、歴史的には主に整形外科領域において首又は肩から腕に関して現れてくる症状の中で明確な器質的原因が認められないものの総称として与えられた名称であって、頸肩腕症候群の中には頸肩腕障害又は職業性頸肩腕症候群も含まれると考えられるのであるから、原告の疾病は広い意味において頸肩腕症候群の症状を呈するものであると認めることができる。

(2) そして、(証拠略)によれば、労働省労働基準局長昭和五〇年二月五日(基発第五九号)及び昭和五三年三月三〇日(改正基発第一八七号)通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」は、いわゆる「頸肩腕症候群」とは、「種々の機序により後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり「こり」、「しびれ」、「いたみ」などの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症状群に対して与えられた名称である。」と定義したうえで、頸肩腕症候群についての業務上の疾病と認定すべき基準として、「上肢の動的筋労作(例えば打鍵の繰り返し作業)または上肢の静的筋労作(例えば上肢の全・側方挙上などの一定の姿勢を継続してとる作業をいうが、頸部を前屈位で保持することが必要とされる作業を含むものとする。)を主とする業務に相当期間継続して従事した労働者であって、その業務量が同種の他の労働者と比較して過重である場合または業務量に大きな波がある場合において、いわゆる頸肩腕症候群の症状を呈し、それらが当該業務以外の原因によるものでないと認められ、かつ、当該業務の継続によりその症状が持続するか、または増悪の傾向を示すものである」ことをあげているところ、更に右の「業務上の認定に当っては、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量からみて、本症の発症が医学常識上業務に起因するものとして納得しうるものであることが必要である」と解されているが、右は十分の合理性を有するものということができる。そこで、右も参酌して原告の症状につき業務起因性を検討することとする。

(イ) まず、前記2の(一)で説示したとおり、原告は、旧会社の仲工場、川崎工場及び玉川作業所において、からげ配線作業、ワイヤーラッパー作業、ビス止め作業及びおり・さし作業に従事したが、右の作業はいずれも椅子に座りながら、ラインに向かってある程度前屈みの姿勢を保持して、手指及び腕を繰り返し使用して行う作業であることが明らかであって、それらの作業内容は上肢の静的筋労作及び動的筋労作を主とする業務に該当するものと言えるから、頸肩腕症候群の発症要因足りうる業務ということができる。

(ロ) そこで次に、仲工場及び川崎工場における原告の業務量についてみると、すでに前記2の(一)で判断したように、原告は、仲工場において、約六か月弱の間、一日約一七〇台のSSBトランシーバーの仕掛品のからげ配線作業若しくはワイヤーラッパー作業に従事し、仕掛品一台についてからげ配線作業については熟練者の場合通常四点ないし八点の作業持点で、ワイヤーラッパー作業については八点前後の作業持点であるが、原告はこれよりも一点ないし二点少ない作業持点で作業を行い、また川崎工場において、昭和五一年一二月一日から昭和五二年一月末まで軽作業の後、同年六月一三日までの約六か月間、製造ラインにおいてSSBトランシーバーのからげ配線作業、ワイヤーラッパー作業に従事し、そのうち同年四月二日まで及び同月二四日から同月三〇日までの間、一日平均約二百数十台のトランシーバーの仕掛品に対し、仕掛品一台について、からげ配線作業については四点ないし五点の作業持点で、ワイヤーラッパー作業については一〇点前後の作業持点でそれぞれ作業を行い、更に同年六月からは所属の製造ラインを替って、品質管理が特に厳しい米国GE社向けトランシーバーのワイヤーラッパー作業及びビス止め作業に従事したが、右作業量は、原告が過重な業務であると主張する作業量に比較して著しく少なく(特に、一日当たりの製造ラインに流されるトランシーバーの仕掛品の台数は原告の主張する台数と著しく異なることが明らかである)、右作業量をもって、仲工場及び川崎工場の作業が過重であったと認めることはできず、他に仲工場及び川崎工場の作業が過重であることを認めるに足りる証拠はない。また、原告の作業量が他の作業者と比較して過重であったことや作業量に大きな波があったことを認めるに足りる証拠もない。

原告は、仲工場及び川崎工場の作業負担によって種々の症状が生じた旨主張するが、仲工場及び川崎工場での右作業量、前記2の(三)で認定した旧会社による健康診断の結果などに照らすと、原告にその主張する程度の症状が生じていたものと到底認めることができない。もっとも、原告にとって仲工場での作業は初めての経験であり、仲工場及び川崎工場を通じて、原告は、製造ライン(フリーフローライン)のドラムの騒音がある作業環境の中で、椅子に座りながら、製造ラインを自動的に流れてくるトランシーバーの仕掛品に対して、あらかじめ定められた作業持ち時間内に、一日数百回以上手指を繰り返し使用する作業を行ったのであるから、原告の身体に何らかの疲労やストレスが生じたであろうことは容易に推認しうるところであるが、これら作業量が過重とはいえないこと前認定のとおりであって、それは右作業に不可避的に随伴する職業上の負担というほかない。

しかも、前示のとおり、原告は、川崎工場に職場復帰するまでの昭和五一年八月二一日から同年一一月三〇日までの間、痔の治療入院のため仲工場を長期欠勤し、川崎工場に復帰後も昭和五二年一月まで軽作業に従事し、同年四月から六月一三日ころまでの間のほとんどは製造ラインの仕事を行わず、また昭和五三年六月二一日の川崎工場閉鎖後、同年一〇月二一日の玉川作業所へ復帰するまでの間、ストライキを行い作業に従事せずにいたのであり、その間作業量が軽減されるか又は作業から解放され、作業による疲労を回復する時間を十分とりえたということができる。

(ハ) 玉川作業所における作業についても、前記2の(一)においてみたように、原告が復帰した昭和五三年一〇日二〇日から昭和五四年五月頃までの作業量は全体的に少なく(同年三月五日から一五日までは臨時休業)、同年六月以降同年一〇月頃までは作業量が徐々に増加し、その後はほぼ一定した傾向にあったものの、その間の作業量は余裕のあるものであったし、更に、前記2の(二)で認定したとおり、玉川作業所に就労後の原告の出勤割合はとりわけ不良であることが明らかであり(しかも、右の説示のとおりその欠勤理由は頸肩腕症候群の症状に関係したものではない)、他の従業員のこの期間における勤務状況について具体的にこれを知りうる証拠はないけれども、右認定事実によれば原告の作業量は他の作業者と比較して著しく少ないものと推認するのが相当である。そして、前記のように原告は玉川作業所において、いわゆるマイペースでゆっくり作業をしていたことも明らかである。従って、原告の玉川作業所における作業負担は著しく軽度であったということができる。

(3) 右にみた旧会社稼働中における原告の作業態様、作業従事期間及び業務量に関する認定事実(その詳細は前記2の(一)のとおり)に、原告の勤務状況及び欠勤・遅刻事由(前記2の(二))、原告の健康診断時及び平素における頸肩腕症候群に関する訴えの状況(前記2の(三))並びに原告の昭和五五年四月一一日欠勤以降の対応(最初原田医師作成の脊椎椎間軟骨症で約三週間の安静加療を要する旨の同月一〇日付診断書を提出して欠勤を開始し、被告から同年六月一六日付で休職の通知を発したところ、同年六月二四日に今井医師作成の同月二〇日付頸肩腕障害、腰痛で約一か月間の休業加療を要する見込みの診断書を提出してそれが業務上の傷病である旨主張をするようになり、これに対し旧会社が、同年七月一六日付で、検診費用及び交通費は旧会社が負担し診察日はできるだけ原告の希望を入れるから旧会社の指定する複数の医師のうちの一人を選択して診断を受けるように具体的に医師名を示して原告に通知したのにもかかわらず、原告はこれに応じなかったことなど。詳細は前記二の1及び後記三のとおり)及び前記(1)の(イ)の原田医師による診断結果(なお、前掲労働省基準局長通達は、頸肩腕症候群の「症状は外傷及び先天性の奇形による場合のほか、次に掲げる疾病などによっても発症する」とし、その一つに「頸・背部の脊椎、肩甲帯、及び上肢の退行変性による疾病」を掲げられている)を併せ検討するときは、原告の頸肩腕症候群は旧会社の業務には起因しないものというのほかなく、右の判断を覆すに足りる証拠はない(〈人証略〉の各供述中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし採用できないし、〈証拠略〉及び証人今井重信の供述も、同証人の供述からも明らかなように、原告本人に対する問診を含め診察・調査が不充分であって、採用することができない)。

三  そこで、次に再抗弁(労働組合法七条違反―不当労働行為)について、検討する。

1  前記(一及び二の2の(一))のとおり原告は昭和五三年三月ころ組合分会を結成し、結成と同時に分会長に就任したものであるところ、原告本人尋問(第一回)の結果及び弁論の全趣旨によれば、旧会社が原告を休職処分にした昭和五五年六月当時原告が組合分会においてただ一人の組合員であり分会長であったことが認められ、かつ、前認定のとおり組合分会と旧会社との間では川崎工場閉鎖問題や玉川作業所への配転問題をめぐって激しく対立し、そのため紛争が生じており、旧会社が原告を休職処分にするに際しては、休職期間を就業規則上最短の二か月間とし、右休職期間満了後は直ちに退職通知を発し、原告を退職させたことが明らかである。

2(一)  しかし、業務外疾病による場合の休職期間に関する就業規則一八条一号の規定は、本来的には休職対象者の疾病内容を考慮して、その休職期間を定めることが予定されているものと解されるが、原告から休職処分前に提出された診断害の内容(いずれも脊椎椎間軟骨症の病名であり、昭和五五年四月一〇日に提出の診断書では約三週間の安静加療を、同年五月六日付の診断書では更に約三週間の安静加療を、同月二八日付診断書では更に約二週間の安静加療をそれぞれ要する旨記載されていることは前記二の1で認定のとおりである)及び原告のそれまでの勤務状況が前記(二の2の(二))認定のとおり不良なものである以上、旧会社がこれまでの原告の右勤務状況を考慮して、就業規則上最短の二か月間の休職期間を決めたとしても、そのこと自体あながち不当なものとはいえないというべきであって、それが直ちに不当労働行為に該当するものとはなし難いし、他に旧会社が原告の休職期間を就業規則上最短の二か月間と決定したことが、労働組合法七条一号、三号の不利益取扱い、支配介入等不当労働行為に該当することを認めるに足りる証拠はない。

(二)  そして、旧会社が就業規則一九条五号の休職期間延長の規定を適用しないまま、原告を退職させるに至った経緯については前記二の1の(二)で認定したとおりであるが、それによれば、原告は、原田医師作成の脊椎椎間軟骨症で約三週間の安静加療を要する旨の診断書を提出して昭和五五年四月一一日から欠勤を開始し、右三週間経過後の同年五月六日付で同一病名により更に約三週間の安静加療を要する旨の同医師作成の診断書を提出し、更に右三週間経過後の同月二八日付で同一病名によりなお約二週間の安静加療を要する旨の同医師作成の診断書を提出して欠勤を続けたので、旧会社が同年六月一六日付で原告に対し休職通知書を発したところ、原告は今井医師作成の同月二〇日の頸肩腕症候群等の病名の記載された診断書を提出して、業務上の傷病として扱うよう要求してきたことから、旧会社としては、原告の疾病が業務に起因するものであるとする原告の主張に不審の念を抱き、原告の右主張を検討するため、原告に対し旧会社指定の専門医の診断を受けるよう指示したことが明らかである。そして、原告の疾病が旧会社の業務に起因するか否かを明らかにすることは、旧会社にとって原告に対する今後の処遇を含め今後の業務を進めるうえで重要な事柄であるうえ、旧会社が休職通知を発したところ原告が休職通知後何らの説明のないまま従前の診断書と内容の異なる診断書を提出して、業務上の疾病として扱うよう要求してきたときに、旧会社が原告に対し旧会社の指定医の診断を受けるよう要求したことには合理的な理由があるものというべきである。しかも、旧会社は、原告に対し、指定医による検診の費用及び診察を受ける際の交通費は旧会社が負担するとともに、複数の指定医を具体的に示したうえ指定医の選択及び診察日について原告の希望をできるだけ容れる旨通知しているのであるし、仮に原告が旧会社の指定医の診断を受けたとしても、その診断結果に服しなければならない義務があるとは考えられず、それに不満があるときは争うことも可能なのであるから、原告が旧会社の指定医の診断を受けるとしても原告に過度の負担をさせることになるとは到底いえないことが明らかである。従って、休職期間満了に至るまで、原告が旧会社からの指定医による診察要求を拒否し、指定医の診断を受けなかった以上、旧会社が就業規則上の退(ママ)職期間延長規定を適用しないまま、退職期間満了により原告を退職扱いしたとしても、それはやむをえないものであるということができ、従って旧会社の右の行為が不当労働行為であると認めることはできない(もっとも、前記のとおり旧会社が原告の疾病の原因について原田医師のみから意見を徴し、今井医師からは意見を徴しないまま、退職期間満了により原告を退職させるに至ったことが明らかで、それ自体はいささか妥当性を欠く嫌いがないとはいえないが、そのことから不当労働行為が肯定されるものではない)。

(三)  なお、原告は、旧会社の従業員で非組合員の大木が肝障害で欠勤し、以後約六年間を私病の休職扱いにされながらも休職期間を延長され、退職にならなかった例と比較して、旧会社の原告に対する措置は明らかに不公平な扱いであると主張するが、大木の欠勤について、旧会社が大木を休職処分にし、その後休職期間を延長したことを認めるに足りる証拠はないが、仮にそれが認められるとしても、旧会社の原告に対する休職処分及びその後原告を退職させた経緯は既に認定したとおりであるから、右大木の場合とその事情が異なるというほかないことになり、大木の欠勤の場合の措置との比較をもって、旧会社の原告に対する休職処分及び休職期間満了後の措置が直ちに不当労働行為に該当するとする原告の主張は失当というほかない。

3  従って、原告の再抗弁は理由がない。

四  以上のとおりであるから、旧会社が就業規則に基づき原告を休職扱いとし、その期間の最終日である昭和五五年八月一〇日が満了しても復職の望みなしと認め同日の経過により退職したものとして取扱ったことは正当であるということができるから、原告の被告に対する地位確認請求は理由がない。

第二賃金請求について

原告の賃金請求については、第一(地位確認請求について)で認定したとおり、原告は就業規則に基づき休職期間満了により旧会社を退職し、すでに旧会社の社員たる地位を失ったことが明らかであるから、原告の被告に対する賃金請求はその前提を欠き理由がない。

第三結論

よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 澁川滿 裁判官 太田剛彦 裁判官加々美博久は転任のため署名捺印できない。裁判長裁判官 澁川滿)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例